和の宿


こころかろく生きるために


  世の中には、物事をわりと簡単に考えいつまでもこだわらない性格の人と、
針の先ほどの小さなことでもとても真剣に考えてしまう性格の人がいるようです。

真剣に考えてしまう人ほど、悩みは深くいつまでも苦しんでしまうと思うのは、
私がその針の先ほどの小さなことをいつまでも考えてしまう性格だったからです。

 小学校の成績表にも、先生から見た私の性格が毎学期きちんと丸で書いてあります。

・物事を公平に見る

これは一年生のころからずっと丸がついていました。
手書きで 言いつけ口をする、とも書いてあります。

結構 いやなやつだったのかも知れないですね。

そんな私は、自分の性格を履歴書などには

・明るい
・気が強い
・活発
・積極的
・正義感が強い

などと書いていました。
(図々しいかもしれませんが、本人はそう思っていたのです)

  性格は変らないから・・・ と言う人がいます。

性格って、本当に変らないのでしょうか?


私はそうでもないんじゃない? と思っています。

  基本的なところは変っていません。

物事を公平に見る そして 正義感が強い

これは常に私がしてきたことのようで、このために苦しい思いをしたことが
たくさんあります。


夫だった人には、

『お前の話は、正論過ぎて反吐が出る。少しは逃げ道も残して置けよ!』

と言われましたし、長男の友人のお母さんにも

『竹田さんに謝られると、余計に腹が立つわ!』

と言われたことがあります。

  私は一生懸命やっているのに、どうしてこうなるのよ!

その思いがいつもついて回っていました。


いま しあわせだな と感じ、楽に生きられるようになったのかもしれない 
と思うのは、きっと“ほどほど”という部分を知ったからなのでしょうね。

  基本的な性格は変っていないんだけど、例えば

正義感が強いという長所は、融通が利かない という短所にもなりますよね。

公平に見るという部分も、少し薄情なんじゃない! と見られることもあると思います。

すべては手のひらのように裏と表の部分を持っているようです。

その両方とうまく折り合いをつけられるようになった、ということかなぁ。

臨機応変 という言葉がありますが、この臨機応変を私は“ほどほど”と読みかえています。

まだまだきちんと臨機応変に対応できない部分が多い私は、成長途上なのかもしれません。

では、どうしたらその“ほどほど”と仲良くなれるのでしょうか?

2003.9.10

人生の秋を豊かに彩る

誕生から20歳前後の春を過ぎ、 学びの結果を精一杯実りにつなげた夏の終わりが40代後半とすれば、 それ以降が実りを受け取る収穫の秋・・・ その秋に 人生の大きな転機がやってくる こんなはずではなかった と憂えても仕方がない 改めて自分を振り返って転機を好機へと変え、 豊かな秋を喜び次の世代へとつなげていく冬を楽しもう